(特別企画)【補充片道乗車券について】


 確認をするのがなんとなく気恥ずかしくて、硬券があるだろうと勝手に期待しつつ「○○まで1枚下さい」と申し出たのはいいが、硬券用の乗車券ボッ クスには目もくれず、ごそごそと厚い冊子を取り出す出札氏.....。「あちゃ~」と思いながらも、今更キャンセルしにくくて、仕方なく"軟券の大型補 片"を講入してしまった方も意外と多いのではないだろうか(笑)。
 かくも"切符コレクター"には人気がない"補充券"だが、昔は間違いなく"硬券"だった時期もあり、最近改めて当時の券を詳細に眺めてみたところ、なか なか味わいがあることに気付いた。そこで、ここでは"補充券"の中でも最もポピュラーな「補充片道乗車券」について、少しだけ詳しく紹介してみたいと思 う。


1."補充片道乗車券"とは?

 乗車券の様式は、「日付を入れるだけでそのまま交付できる"常備式"」が最も理想的であるのは当然だが、極端な話、全国に数千もあ る着駅群のすべてに常備券を備えるとなると、各駅毎に途方もない口座数が必要となり、とても現実的な方法とはいえない。(しかも、その大半は全く売れな い!)このような事態は、今のようにまだ路線が整備されておらず、駅の数も少なかった明治時代には既に始まっており、やがて「複数の着駅群をまとめて1枚 の券に印刷し、該当部分を鋏で切断する方法により発券の合理化を図った"準常備式"」と、「空欄を設けた汎用券を印刷し、発行の都度、(発)着駅名部分をゴム印または手書きで記入する"補充式"」が出現することになった。
 文献によれば「補充片道乗車券(略称は『補片(ほかた)』)」の制定は明治20年頃(「綴切符」と称した)と言われており、当初は軟券 だったようだが、間もなく硬券化された。当時の様式は、極めて初期のものを除けば、概ね「小児断線や官割断線のある普通のA型片乗の駅名部分だけを空欄に した体のもの」であったとみられる。


2.なぜ、「補片」は"切断式"でなければならないのか?

 「補片」は、廃札券などを除いてフルサイズ(A型・D型)のまま旅客に渡ったものをほとんど見掛けない。
 時代がいきなり飛ぶが、近年でも一部の印刷場で右のような「補片」もどきの券の存在が知られている。また、ここまで極端でなくても、発着駅名のいずれか 又は金額部分が空欄になっていてゴム印等で補完する形式の券はそれ程珍しいものではないと言えよう。この類の券式は非常に柔軟性があり、例えば乗車券類の 需要が極端に少ない地方の小駅などでは、これ1種のみを設備して、その都度空欄を補充するようにすれば口座数を大幅に削減することも可能と思われるが、実 際には採用されていない。

① 現場での必要事項記入はミスが生じやすい。

 各駅には発駅毎に「運賃台帳」なるものが用意されている場合が多いので、単純なケースならば比較的短時間で運賃・有効日数・経由等を調べることも できようが、発車まで数分しかないような切迫した状況では、誤確認(出札員の勘違いや思い込み)、記入ミス(誤記入や記入漏れ)といったトラブルが生じや すいのは当然である。乱雑な文字で記入されたものなどは、他人では判読できないケースも考えられる。また、複雑な乗車経路で「蕗ノ台から豊前大熊ゆき」等 の長距離券を所望された場合はもはや即時交付などは不可能であり、時間を掛け余程注意して作成しても、ある程度の発券ミスは避けられないように思われる。

② 「補片」は不正の余地が多い。

 硬券の「補片」では、必要事項を記入して券を旅客に渡してしまうと、駅の側には「どのような券を売ったか」という記録が残らないために整理作業 (売上集計)すら行えない。そこで、発行に際して券を左右に切断し、左側の甲片のみを旅客に渡して、右側の乙片を駅側で保管するという方法が採られてい た。しかし、出札員が故意に甲片に遠駅、乙片に近駅を記入して近駅分の運賃を駅に納めれば、すぐには不正が発覚しない。乗車券類は使用済み回収後に「審 査」が行われるので、後日、甲・乙片を照合して不正が判明する場合もあるが、うまく甲片を回収されないように工夫すれば、あまりに常習的でない限り露見し にくいように思われる。また、もっと単純に、ペンで記入された必要事項を旅客が"インク消し"で消去・上書きしたり、筆画の少ない部分に加筆して改竄する ことも考えられる。

 したがって、鉄道会社としては多少口座数が増えても、できるだけ常備券や準常備券を備えるのであり、現に外国の例で不正が横行しやすい国柄では、 長大路線のほとんど全てを常備式でまかなうために、膨大な口座数を抱えて細かく方向別に出札口を設けた巨大な出札システムを採っている所もあるという。 (やむを得ず上記のような券を使用するケースでも、補充欄は事前にゴム印を捺して用意しておく場合が多く、これらはむしろ「常備代用」券であって、発行の 際にその都度補完する「補片」とは別物と考えたほうがよいと思われる。)

 上記①②の問題は、「補片」の発行が避けられない限り根本的な解決策はないと考えられるが、大正初期頃から部分的な妥協策として、右のように断線 の数を増やした新様式が採択されるようになった。運賃によって4~6区分された断線の右側を切断することにより、発券ミスや不正による損害がその区分の金 額内に収まるというものである。最初はA型券で、運賃区分は等級により、また時期により数度の改定が行われたものの、戦争の混乱期に一時的に廃止されて、 昭和25年以降に復活した際は、なぜか200kmまで、400kmまで、600kmまで、601km以上の「キロ程」区分に変更されている。当時は3等級 制が採られていたため、大きな駅では等級別、異級用、小児用に数種類の口座があったことは確実だが、筆者は「旧1等補片」(淡黄色地紋)はまだ一度も目に したことがない(下図は推定による合成画像)。当時は"1等車"を連結した列車自体がほとんどなく、発行枚数が極めて少ないためと思われる。(特に、"蕗 ノ台"のような小さな駅には、このような硬券の「1等補片」はなかった可能性が高い。) なお、この時期の1・2等券に関しては、むしろ「異級」乗車券の 需要の方が多かったとも考えられるので、下のように「異」を□で囲んだ記号が付けられたものを想像してみた。(札幌印刷では既に「異」の朱影文字が使われ ていた可能性もある。)

 余談だが、この「異級」乗車券は原則として"上等級の券様式"で発行するらしいので、実際にはまずあり得ないが、わずか1駅区間を2等、その他の 全区間を3等としても「2等補片」(淡青色地紋)が発行されたはずだ。現に、青函連絡船のみを2等船室として「鉄道3等」というゴム印を捺した「2等補 片」はしばしば見掛ける。

 その後、昭和33年頃から(?)、「補片」は記載スペースに余裕があるD型券に変更されると共に、500円まで、1000円まで、1001円以上 の3金額区分に変更された。常識的に考えても「キロ程」区分よりも「金額」区分のほうが事務・審査の手間が簡単なはずなので、当然の仕様変更ではなかろう か。昭和35年7月には3等級制が廃止されて2等級制に移行したため、地紋様の変更も行われている(新2等=淡青色、新1等=淡黄緑色)。
 やはり、新1等券は「異級」券のほうが需要が多かったはずなので、下のような券を推定してみた。1等券は英語併記が「旅規」で規定されているため、旧 1・2等券と同様に「TO」「¥」の加刷の他、運賃も高額となるので、1000円まで、2000円まで、2001円以上の3区分となっていたようだ。ま た、この頃は各印刷場共に「異」の朱影文字が刷り込まれているものが多く、札幌印刷では昭和30年代の末期に「異」字体の変更も行われた模様。但し、異級 表記は通常の1等補片に「□に異」のゴム印を捺して使用することも認められていたので、口座数を少なくするために専用券を置かなかった駅も多いと思われ る。("蕗ノ台"のような小駅では、異級券どころか硬券の「1等補片」自体がなかった可能性が高いが...。) さらに、国鉄では昭和32年から「支社 制」(全国9区分)を採用したため、昭和30年代の後半から○に「青」「札」「旭」「釧」など、発行駅を管轄する鉄道管理局記号の代わりに一律「①」(北 海道支社)などの支社番号が印刷されるようになったという。

* 硬券の「補片」にはなぜ複数の断線があるのか?

 切断して発行された不正な「補片」の甲片は、出札員自身が悪用する場合もあり得るし、他の者に渡って"不正乗車"や別の駅で"払い戻し"を受ける などの利得行為に利用される可能性がある。しかし、不正乗車に使用するにしても、甲片は出札後数日内に乗車時改札・車内改札(特改)・集札等に際して他の 職員の目に触れることになるし、乙片はその日のうちに駅の整理作業(売上集計)に掛けられるので、一見して半券の状態(特に運賃と切断位置の関係)に不備 があれば、すぐに不正が露見してしまい役には立たない。断線が1ヶ所しかなく、単に甲・乙片を分けるためだけの存在ならば、甲片の着駅欄に最遠端の駅名 (例えば九州の枕崎駅)を記入してもすぐには不正が発覚しない理屈だが、複数の金額帯断線を設けるだけで、下図のように不正な書き込みがしにくくなるた め、鉄道会社の損害がその金額帯の範囲で済むという利点がある。

(上図例) 仮に、深名線蕗ノ台駅を発駅と考えた場合、昭和39年当時、羽幌線力昼駅までは2等で運賃500円以内だが、1つ先の古丹別では500 円を超えてしまうため、甲片が使えるように切断位置を右にずらせば、乙片に不備が生じる。逆に、乙片に矛盾が出ないよう「500円まで」の位置で切断すれ ば、甲片に不備が生じるため、どちらにしても不正は難しくなる。だからといって、乙片の着駅を古丹別と同じ「1000円まで」の駅に書き換えれば矛盾はな くなるが、駅に納める運賃も増えてしまうので、結果として"不正な利益の幅"はそれ程変わらない*1)ことになる。確かに、この方法でも不 正を完全に封じることはできないが、実際には近駅の多くが既に常備式・準常備式で設備されているはずなので、乙片に記入する運賃の安い「補片」対象駅(ダ ミー)を探すのも容易ではなさそうだ。しかし、「運賃を少しだけごまかして記入したり、断線間の曖昧な部分で斜めに切断する」といった"合わせ技"も考え られるので、なかなか一筋縄ではいかないのも事実。

 なお、「経由」欄の記入方は"線名や分岐駅"などの羅列が中心となるが、実際には多分「運賃台帳」などに書式がきちんと決められているのではないかと思 われる。(ご存知の方は教えて下さい。) 乗車経路が複雑な場合はフルで経由欄に書き込めない場合も多く、「海(東海道本線)、東(東京)、秋(秋葉 原)、千(千葉)、蘇(蘇我)、綱(大網で多分"網"の間違い)、大(大原?)、館(館山)、木(木更津)」(冒頭の券:色々な意味でスゴい)のような" 暗号並みの略称"が記入されているケースもしばしば見掛ける。また、「経由」欄記入が不要な場合は、不正な書き込みができないよう横長の「X」を記入し、 必ず右括弧「)」で閉める規則になっているようだ。

注)
*1 これは「...まで」と書かれた金額帯までの話で、この例では「1001円以上」を出札員が負担すれば、430km以上の任意の着駅 で半券の不備が解消されるため、やはり大胆な不正が可能となる。例えば、甲片に"枕崎"(深川・小樽・函館・仙台・東京・東海・山陽・鹿児島本線・指宿枕 崎線経由)、乙片に"東森"(函館本線)を書き込めば、一時的に"1010円"を負担するにしても、結果的に相当額(当時の額面で3000円以上)の不正 利益を得ることができるかもしれない。これについては、部内的に何らかの別対策があった可能性もあるが、詳細は不明。


3.「補片」の軟券化

 その後、昭和41年3月から右のような現行の大型軟券(7.3 X 10.2 cm)の「補片」が採用されるようになった。やはり、2等は淡青色地紋、1等は淡黄緑色地紋だったが、昭和45年に等級制が廃止されてからは淡青色に統一 され、昭和52年前後に近距離硬券乗車券の地紋色が淡青色から淡赤色に変更された後も、大きな改定はなく現在に至っている。昭和41年頃はまだまだ硬券の 全盛期であり、「補片」などの補充乗車券類だけが、なぜこんなにも早く軟券化されたのかよくわからないが、やはり上記2.①②のような問題から、少しでも 発券ミスや不正を減少させようとする意図の表れではなかったかと思われる。

 新様式は十分なスペースがあるため、経由欄や但し書き事項などを大きな文字で十分に書き込み、押印することが可能なので、誤読や改竄の余地が少な くなった他、駅側で保管しておく乙片(左側に変更)の記入方も詳細になっている模様。但し、なぜか不正対策の「断線」処理は廃止となっており、現在も根本 的な問題解決には至っていないようだ。(上図:札幌印刷では発駅・発行駅欄の印刷範囲が異なる3様式が存在する。大きな駅では小児用なども含めて数種類を 備えていると思われる。)
 なお、これも余談だが、東京近郊では軟券化に伴い不要となった硬券の「補片」に「20円区間ゆき」などのゴム印を捺して発券したことが知られており、D 型券がフルサイズのまま旅客に渡った先駆と言われている。(オークションなどでもしばしば見掛ける。但し、他の地域では全く例がないようで、新券切り換え と同時にすべて廃札となった模様。)


 その後、ある方からメールを頂き、「軟券の補片はたぶん昭和40年後半から (テスト的に?)使用されており、サイズは同じだが「普通乗車券」のタイトルがないのが特徴である(左下:2等券/右下:1 等券)」 というご指摘を受けました。いずれの例も券番がそこそこ大きいため、とある文献から引用した上記「昭和41年3月から」という始期については再考の必要が ありそうです。 この度は貴重な情報及び画像を頂き、誠にありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。


4.私鉄の「補片」

 私鉄の場合も、概ね同時期の国鉄券様式を踏襲する傾向にあり、各社共にほぼ同様の硬券の「補片」が確認されているが、よく見るD型"廃札券"の多 くはなぜか「小児専用券」ばかりで、小児の需要があまりなかったことをうかがわせる(右図)。しかし、一部の中小私鉄ではかなり近年まで硬券の「補片」が 残っていたのも事実で、島原鉄道や大井川鉄道などでは昭和56~57年頃まで例が見られる他、長野鉄道(B型:下図)など極一部ではひょっとしたら現在で も現役の可能性もありそうだ。(ご存知の方は是非お知らせ下さい。)

 なお、最後になるが「補片」と同様に「補充往復乗車券(略称は『補往(ほおう)』)」という券式もあり、これも昔は硬券(C型)だったが、国鉄で はやはり昭和41年頃に廃止され軟券化されている。ほとんど売れない券種だったためか、私鉄の廃札券(C型硬券:下図)をオークションなどでよく見掛ける が、大きくかさばる割りに補充スペースが小さくて見にくいために、現場では「補片」以上に敬遠されたものと思われる。発行済みの実券については、その性格 上、フルサイズ(C型)はもとより往片(下)と復片(上)がそろったものさえ、今ではほとんど残っていないようだ。
 

◆ 参考文献:「国鉄きっぷ全ガイド」(近藤喜代太郎・日本交通公社・1987)/「鉄道きっぷ博物館」(築島裕・日本交通公社・1980)/「鉄道きっぷ大研究」(辻阪昭浩・講談社・1979)