14.函館本線上目名駅

〈位置〉 熱郛―目名 間

〈開業〉 大正2年9月21日(一般駅)
    →昭和57年3月1日(無人駅)
    →昭和59年3月31日(廃止)

〈乗車客数〉 1

〈概要〉

長万部の北、観音山―幌内山という600~800メートル級の低い山に挟まれた細長い山間にある小駅で、乗降客がほとんどいないという理由から昭和 59年に廃駅となった。僻地の小駅とはいえ一応(函館)"本線"という幹線区間にあり、また廃止の2年程前まではれっきとした有人駅で乗車券類の発売も 行っていたため、時刻表や新聞などで廃駅を知り驚いた方も多いのではないかと思う。大正2年からある比較的古い駅だが沿線ではやや遅れて開業(国有化後) しており、昔から周囲には集落といえる程の人家はなかったと推測される。むしろ、熱郛―目名間が15km以上も離れていることから、特に近年では列車の安 全運行上(離合・保線)の存在意義の方が大きかったと思われる。実際、昭和57年の"無人化"後も廃止当日まで運転関係の職員が配置されていたようだ。 (昭和60年発行の北海道総局監修「北海道鉄道百景」の中に「最終日の上目名駅」と題して、列車を見送る駅員の姿が確認できる。)当時は、熱郛―上目名間 が青函局と札鉄局の境界だったので、駅の位置がもう少し南寄りだったら無人化・廃駅が少し遅れていた可能性もある。(当時、青函局の方は合理化がやや遅れ ていた。)  トップの画像は、昭和46年3月頃の貴重な駅舎写真(ある鉄道愛好家の方より頂戴したもの)。島式のホーム側から撮影したものだろうか(?)。北海道新 聞社発行の「写真で見る北海道の鉄道・上巻」に昭和54年6月頃のほぼ同じ構図の写真が掲載されているが、窓枠などが新しくなっており、この間に小規模な 修理・改装が行われたことがうかがわれる。函館本線の山線区間はかつてSL撮影の名所で、多くの鉄道写真愛好家が上目名駅を乗降したはずだが、どういうわ けか出版物・ネット上で画像をあまり見かけないのが残念だ。駅舎の情報や写真・画像(特に駅正面・駅舎内・ホーム・駅名標)をお持ちの方は是非ご一報くだ さい。


 駅舎とホームが一緒に写っている昭和40年代の上目名駅他の写真画像を広瀬和彦氏より頂戴しました。氏のHP「おもいでの箱 龍が森のハチロクたち ほか鉄道写真集 / "私の函館本線"」をご参照ください。


◆広瀬様、本当にありがとうございました。


:上目名駅の廃止決定を報道する新聞記事(北海道新聞・昭和58年8月7日)

:上目名駅の廃止を告げる時刻表記事(交通公社の時刻表・昭和59年4月号)


手持ちの時刻表をみると、熱郛―上目名―目名間を各駅停車していく列車というのは比較的少なく、かなりの便が手前の目名・熱郛・黒松内駅止りになっ ていて、昔から停車本数は多くなかったようだ。(いわゆる"運転停車"を除く。)寿都郡と磯谷郡の境界地点にあり、もともと往来が疎らなうえ近年は周囲の 人家がほとんど消滅したため、無理もないことかもしれない。昭和39年頃には既に1日6~7往復の停車本数になっていて、その後約20年間あまり増減はみ られないが、意外にも廃止の数年前までは"上目名行"という列車(1往復)が存在した。(左:交通公社の時刻表・昭和47年3月号。オークションでサボも しばしば見掛ける。)「休日は目名止り」とあるので、明らかに通学生の便宜を図るための特別な運行であったと思われる。


〈その後...〉

"上目名駅廃止"を新聞記事で知った当時は、各地で赤字ローカル線の整理が始まる時期に重なり、どうしても"優先順位"を付けざるを得なかった。で も...無理をしてでも探訪しておけばよかったと今つくづく後悔している(いつものパターンだが)。その後、何度か特急列車で旧上目名駅付近を通ったが、 食い入るように見つめても見事なまでに何もなくなっていて、ちょっと拍子抜けだ。他のHPによると名残りの保線詰め所が残っているというのだが、行き違い 設備がきれいに撤去されているので、本線上からは極めてわかりにくい。今や"駅の代わり"となった長いスノーセットが虚しく感じられるのは私だけだろう か。


〈上目名駅のきっぷ〉

普通入場券 30円券(昭和51年発行)。入場券の最終日付は昭和57年2月28日(最終額面110円券)で、よく見掛けるのはこの30円券と下の100円券。券番は2448で、思ったよりたくさん売れているようだ。


普通入場券 100円券(昭和55年発行)。稀少性はあまりないが、料金改正が無人化前年(昭和56年)の4月だったこともあり、110円券はあま り市場に出てこない。なお、かなり疑問だが"無人化"後も硬券(簡易委託式の乗車券類)が発売された可能性もあるので、情報をお持ちの方は是非ご一報くだ さい。


〈上目名駅のスタンプ〉

上目名駅に備えられていた駅スタンプ。隣の目名駅に設置されていたものと同図案で、駅スタンプの蒐集家の他、SL目当ての"撮り鉄"などもよく捺していったものと思われる。