5. 士幌線幌加駅

〈位置〉 糠平―十勝三股 間

〈開業〉 昭和14年11月18日(一般駅)
    →昭和45年9月10日(無人駅)
    →昭和53年12月25日(バス代行化)
    →昭和62年3月23日(廃止)

〈乗車客数〉 ほとんど0


〈概要〉

大雪山系麓の高原地帯にあり、一帯はかつて道内でも有数の木材生産地で、駅の役割も旅客輸送よりは原木輸送(積出)が主体であったという。昭和29 年の洞爺丸台風による災害では、倒木処理のために一時期活況を呈したという記録もある。ところが、昭和31年に糠平ダムが完成して以後、国道が三股地区ま で開通すると、製材工場が上士幌地区に移転するなどして鉄道の利用者が減少し、昭和45年には駅業務を廃止、昭和52年頃にはこの区間(糠平―十勝三股 間)の1日平均乗客数は6人にまで激減した。そのため、昭和53年12月、全国初の試みとしてバスによる鉄道代行輸送が開始されたが、鉄道復活の日のため にレールその他の鉄道施設を撤去しないことが転換の条件となっていたため、以後も約10年間、駅舎がそのままバスの待合室に利用されることになった。


〈訪問記1〉

昭和58年9月頃にここを訪れた際にはまだ駅舎やホームなどの施設が健在で(上2枚)、小型の代行バスが国道273号からわざわざひと気のない幌加 駅前まで律儀に迂回運転していた。駅周辺には草が生い茂り、今や廃墟となった商店跡が1軒あるのみで、かなり離れた場所(北西約6km)に幌加温泉郷があ るものの、およそ乗降客がいるとは思えず、実際、乗客のほぼ100%が鉄道マニアであったと思われる。もっと駅舎の内部やホーム、駅名標なども撮影した かったが、停車時間が短いため、運転士さんに催促されながら1~2枚をカメラに収めるのが精一杯だった。廃線前にもう1度ゆっくり訪問できなかったのが残 念でならない。(もし、”ホーム側”の写真を撮っている方がおられましたら、是非画像をお譲りください。)


 士幌線廃止10ヶ月前、昭和61年5月頃の幌加駅の貴重な画像を坂村氏より頂戴いたしました。”ホーム側”や駅名標の写真はネット上でもあまり見かけないので感激です。





◆坂村様、本当にありがとうございました。


同じく、昭和59年3月頃の幌加駅の貴重な画像をカムエク氏より頂戴いたしました。冬景も珍しいので掲載させていただきます。


◆カムエク様、本当にありがとうございました。


〈訪問記2〉

士幌線廃止から約8年を経て、廃駅跡を訪ねる機会があった。糠平からレンタカーで国道273号線を北上、持参した道路地図ではなぜか国道の”左側” に駅があったことになっているが、それらしき跡や駅に入っていく小径を発見することができず、結局、地図上の位置よりもう少し三股寄りの幌加温泉入口近く で、向かって”右側”に見たような風景を発見。糠平ダムを建設する際、線路の付け替えと共に幌加駅の移転が行われたらしい(?)ので、古い地図ならば納得 できるが、何か狐につままれたような気分だった。事前の情報通り、駅舎は既に撤去されており、線路や駅の所在を示す標識類の一部は残っていたが、ホーム付 近は草の茂り方がものすごくて近づくことすらできなかった。駅前のただ1軒の廃屋も既に取り壊されていて、駅周辺は元の原野に還りつつあり、往時を偲ぶわ ずかな影も消え去ろうとしていた。


昭和56年発行の北海道道路地図に記載された幌加駅。国道を挟む位置関係が逆で、正しい位置は「×」印辺りと思われる。人は住んでいないはずなの に、集落を示す「:」記号が付いているのも気になる。幌加地区の人口は最盛期300人にも達したが、現在は幌加温泉に2世帯が暮らすのみという。かなり古 い地図をそのまま引っぱってきた可能性が考えられる。


 その後、上記の幌加駅と国道の位置関係について、"千春の家"氏から「これは"旧国道"のルートであり、(当時としては)この地図の表記は間違いではない」旨の情報をいただきました。

◆"千春の家"様、本当にありがとうございました。


〈幌加駅のきっぷ〉

糠平―幌加間の簡易委託片道乗車券(昭和62年最終日発行)。バス代行区間であるためか、当時道内では稀な”相互式”で印刷されている。”十勝三股 駅発行”となっているが、当時駅舎では簡易委託が行われていなかったので、たぶん代行バス会社の事務所兼待合所で発売されたのではないだろうか。なお、昭 和45年以前、実際に幌加駅で出札された乗車券類は非常に現存数が少ないため、紹介することができなかった。どなたかお持ちの方がおられましたらコピー・ 画像等をお譲りください。

北海道拓殖鉄道への補充連絡片道乗車券(昭和39年発行)。"十勝晴駅駅長"様が北海道拓殖鉄道から特別に譲り受けた鉄道部品や資料の中に含まれて いたとのこと。入場券や常備片道券は時々見掛けるが、補充券を趣味で購入する人は稀なので、却って希少な資料と思われる。D型硬券の"補片"はこの後昭和 41年 頃から軟券化してしまうので、そういう意味でも貴重。

◆"十勝晴駅駅長"様、本当にありがとうございました。趣味で"開業"されたという"十勝晴駅"、いつか私も訪問してみたいです(^-^)。


〈幌加駅のスタンプ〉

幌加駅に備えられていた駅スタンプ。昭和45年頃のもので、本来日付が入る部分に「十勝三股」の小印が捺されているとのこと。当時は周辺に「ホロカ温泉ユースホステル」や"国民宿舎"まであって、温泉客・登山客でそこそこの賑わいを見せていたことがうかがわれる。